伝統の笛が出来るまで

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伝統の笛が出来るまで

 上河内神楽団は、縦笛を使っています。同様に、八幡川流域の十二神祇を舞う神楽団は、縦笛を使っていました。山県舞を導入した神楽団は、横笛を使うようになりましたので、十二神祇を舞う際も横笛を吹いています。

 横笛の構造は、女竹に孔を開けているだけです。したがって笛の良し悪しもさることながら吹き手の技術も音を左右します。

 縦笛の構造は、リコーダー式なので歌口の手前(口側)に、ブロックを詰めています。リコーダーと同じで吹けば鳴ります。ブロックの形状と歌口から笛の外に空気を逃がす角度が音の良し悪しを左右します。横笛のように空気を吹き込む角度を変えることができないので、甲音を舞っているあいだ、ずっと出し続けることができる笛が良い笛となります。ここに笛づくりの工夫があります。

 笛の材料は、作り手の家の前の女竹の竹藪から切り出します。適当な長さに切った竹は数年間雨露を凌げるところにほったらかしておきます。割れたり腐ったりしたものを捨てて、水分が抜け、虫喰いがなく、笛に適した太さのものを選別し笛の長さに切ります。

 歌口と指孔を開けて、ナイフで孔の形を整えていきます。特に歌口の形はブロックの角度と相性が合うように想像しながら整えます。指孔の位置は、厳密な寸法を取りません。良く鳴る昔の笛の位置をそのまま使います。

 いわゆる西洋音階の笛を作るときは、ラ(A)を440Hzに合わせたり、複数の笛を合奏するときは調律しますが、一本の笛で神楽や神事などで吹くときは、前述したやり方で孔を開けます。私たちはこれを「非調律の妙」と称しています。

 何故、八幡川流域の神楽に使う笛は、リコーダー式の縦笛なのか、いつから使っているのか、誰が考案したのかを考えました。

 八幡川流域の神楽の文献「神道の書」(1477~1546 (上小深川野登呂)与惣左衛門ほか)を見ても、祭文は書かれていますが笛云々の記述はありません。

 ここからは、想像ですが1400年代に、大歳神社(筒賀)から河内に十二神祇が伝わったとき、笛は横笛だったと考えます。それは、日本の古来からの笛は、孔を開けた笛がほとんどです。中国から伝わった「篳篥」が縦笛ですが、これはリードを使って音を出す仕組みなので、現在我々が使っている縦笛とは構造からして違います。おそらく横笛が使われ続け、リコーダーが日本へ入った1930年代以降、学校教育で使われるようになって、誰かが桐の木を削ってブロックを作り、女竹に詰めて作ったのではないかと考えます。リコーダーの特徴は、吹けば鳴るので運指さえ覚えれば、直ぐに囃し方に使うことができるというメリットもあります。

 八幡川流域の神楽が縦笛を使っているのは、河内に笛づくりの名人がいて、各神楽団に供給していたのではないかと考えます。

 河内神社の神事も、このリコーダー式の縦笛が使われています。神楽団員が伶人として活動したことから、横笛から縦笛に替わり(あるいは笛は使われていなかった)現在に続いていると考えます。

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